1000年前の耐震補強実験

先日、トルコへ行って来ました。

こんな情勢の中行くなんて非常識!と思われるかもしれませんが
現地にいる家族や友人の情報を聞くと…
「イスタンブールや中心部では何も変わりはないよ」ということで渡航を決めました。
実際に現地に行ってみると、危険区域という感じはまったくしません。

現地のガイドの方も
「報道のおかげで日本からの旅行客がものすごく減ってしまった」と。
トルコはとても安全で、みんな友好的。
危険なところへ足を運ばず、常識的な行動をしていれば、
何も問題ない国だということを日本のみんなに伝えてほしいとおっしゃっていました。

そんなトルコの旅行の中で
現代の技術がなかった頃の耐震補強実験を見つけました。

イスタンブールにあるアヤソフィア。
時代が変わるにつれてこの建物は
大聖堂からモスクとなり、現在は博物館となって
イスラム教とキリスト教の2つの宗教を垣間みることができます。

537年のビザンツ帝国時代に(3つ目となる建物が)建てられたとされているので
約1500年もの間、この佇まいを保っていることになります。
(何度か屋根が崩落したり、修繕をしていますが)
高さが約55m、直径30m程の巨大なドームを抱えるこの建築を
日本と同様、多くの地震にみまわれてきたこの地で
どのようにして現代まで残せたのか。

ちなみにこのアヤソフィアは、建築家ではなく、
アンテミウスとイシドスという数学者たちが設計したそうです。
記録ではエンジニア(技術家)とされています。
ここまで巨大なドームを組むには緻密な計算が必要となるため
建築家ではなく、物理や数字に精通した学者の力が必要だったのだと思います。
ただ、後にそのような計算ができ構造を理解し
設計できる人を建築家と呼ぶようになります。

実際にこの巨大なドームの空間は、その大きさ、神秘的な空気感に圧倒されます。

この大きなドームの下には、もちろん柱はありません。
(イエスが奥の上部に描かれ、大きな円形の装飾にはアラビア文字)

エントランスにあった平面図をみると…


”緻密な計算をした”とありましたが、
実は、皇帝にせかされて短い工期でつくりあげた突貫工事。
さらに費用をおさえるために、レンガとレンガの間のセメントを厚く塗ったりと、
いろいろと劣悪な状況もあり、建設中からゆがみが発生していたようです。

柱が傾いていたり、壁が歪んでいたりという箇所が残っていました。


この写真も、もともとは区切られている上下部分が同じラインでした。

このような箇所がたくさんあるにも関わらず
ドームの形状を保てているのは、
後にミマール・シナンという建築家がアヤソフィアの補強計画にかかわり、
外側からこの建物を支えるしくみをつくったからといわれています。

それまでのオスマン建築がさまざまな様式をごちゃ混ぜにした
曖昧模糊な形式だったのに対し、
シナンはその建築をあらためて理論的に組み立て、
構造の調和を図りました。

そのときに、既存の建物の耐震構造や歪みを計算していた様子を
一部だけ見ることができました。

少しわかりにくいかもしれませんが、
壁の中に写真のような装置(?)をつくります。
写真にはありませんが
空間があいているところにガラス板を挟み、
そのガラス板に入る亀裂や割れ方などから
建物のゆがみを計算して構造補強を行ったそうです。

こちらの下の空間には少しガラスが残っています。

どのように計算したのかはわかりませんが
コンピューターのない16世紀に耐震補強をしっかりと行うとなると
ものすごく時間と手間と情熱が必要だったと思います。
世界最初の耐震建築家とよばれているシナンは
どのような頭脳を持ち、どんなことを考えていたのかすごく興味がわきました。

そこには、建築家としてのプライドや
国家プロジェクトとしてのプレッシャー、
宗教的な建築物に対する憧憬など
さまざまな思いがあったことが推し量れます。

クラフトのリフォームでも
2戸をつなげて1戸にしたり、2×4工法の壁を開口するときは
専門的な知識と綿密な計算、時間が必要です。
それを1500年前の何もない環境でやるとなると、
今私たちがやっているのとは比べものにならないくらいの
手間や時間が必要だったと思います。

今なお修繕が続いているアヤソフィアは
建築的にも歴史的にも、宗教の面からみてもたくさんの物語があります。
今回はすごくアナログな装置と果てしない計算式の物語をご紹介しましたが
後世に残る美しい建築の裏側には、
ほとんどの人ならきっと投げ出したくなるような
途方もない努力が積み重ねられているのだということを、
わずかながらも学ぶことができました。

企画:外川

2015 4/21 9:08 Posted by 建築